RIDE FOR PEACE
長崎発「RIDE FOR PEACE」は被災地への支援を目的としたボランティア活動です。
住田町基地で代表を務めた南さん、陸前高田市の奇跡の一本松再生支援のために募金活動を行いながら、長崎から自転車で岩手にやって来ます。日程は、7月24 日に長崎をスタート。佐賀、福岡、山口、広島、兵庫、大阪、三重、愛知、静岡、神奈川、東京、千葉、茨城、福島、宮城、岩手を繋ぎ、8月20日にゴールす る予定です。
day21 2011.8.13
本日、宮城県蔵王行きを変更、福島駅で募金活動をするため福島へ向かう。
北塩沢村発7:30 国道459~レイクライン~115 福島駅着13:30 行程72キロ
午前中のレイクラインは、前方左に「櫛ケ峰」右に「磐梯山」、とても見晴らしの良いところが幾つもありました。
その先猪苗代町と福島市の境、土湯峠では、横浜からこられた高齢の御夫妻から募金をいただきました。
12:30頃福島市内を走行中、後ろから来た車に呼び止められ、さては募金かと思いきや「何か落としましたよ」
お礼もそこそこに、1キロ程戻ると、壊れた募金箱が落ちてます、路上に飛散した千五百円を無事回収しましたが、
今日は、交流会の後、寝る前に修理をする事となりました。
18:00から交流会、地元福島市からは元証券マンの佐藤氏、二本松からは11日にお世話になったバイカーの小平氏、
陸前高田からは大和田氏(陸前高田市出身、千葉県在住、氏は我々ボランティア仲間から一目置かれる方です)
今日も心おきなく語り合う事が出来ました。
レイクライン
交流会、左から小平、南、佐藤、大和田の各氏
土湯峠
涼風峠、奥には小野川湖
檜原湖
day22 2011.8.14
本日も予定を変更し、小平氏の紹介で茨城県大子町のオートキャンプ場「グリンヴィラ」で募金活動をする事になりました。朝、小平氏の車に同乗し大子町へと向かう、
現地では、浜松から住田基地へ向かう途中の平山風来坊が合流します。
10:30到着
グリンヴィラ支配人の小松氏に協力のお礼を述べ、直ぐに募金活動開始。
今日は、小平氏御夫妻と高校一年生の娘さんも参加、後半には平山氏も合流しました。
「オートキャンプ場グリンヴィラ」は自然豊かで、きれいに整備されとても気持ち良い場所です。
募金活動中は場内放送で呼びかけて、協力して頂きました。
活動終了後、、袋田の滝を見学し平山氏は住田基地へと向かい、私達は帰路につきました
。 (今日は、基地で大股地区の盆踊り、平山氏は風来坊を名乗っていますが、大股には風来坊さえ惹きつける何かがあるようです)
本日、宿泊は11日に続き小平氏宅にお世話になります、お盆に何日も、大変恐縮です。
オートキャンプ場グリンヴィラ、中央が小松支配人
茨城県大子町グリンヴィラ
茨城県大子町グリンヴィラ2
袋田の滝、左から小平、南、平山風来坊
大子町から小平氏の軽トラで二本松市へ
追伸
本日のスポニチ、南の記事が大きく掲載されました。
スポニチ
day23 2011.8.15
8・15予定福島市発6:00 国道4号線 宮城県蔵王町着18:00頃 行程130キロ
8・15
6:30福島発 国道4号線 蔵王着14:00過ぎ 行程80キロ
早朝、小平夫人の運転で南と自転車を峠近くまで運んでいただき、
6:30小平氏がバイクで先導して出発、2時間ほど先導していただいた後、
小平氏は仕事場へ向かいました。
小平さんご一家には大変お世話になり、そのうえ募金にも協力を頂きました。
白石から蔵王町遠苅田へ向かう道は暑さのせいか、だらだらと長く続き、
途中きれいな沢の水を頭からかぶりリフレッシュ。
蔵王近郊では北海道新聞社の西村記者と合流し、コラム取材
西村氏は個人で、ボランティアとして住田町基地を利用した事のある方で、
取材後募金に協力をしていただきました。
14:00過、蔵王町遠苅田の「くるみクラブ」着
くるみクラブとは、南が学生時代、仲間と山林を切り開き合宿所とグランドを造った、懐かしい場所です。
その後交流会では「くるみクラブ」創設者で元監督の桑原先生と現役の学生3名が参加
そのなかで学生からゴールまで伴走するとの提案があり、急拠17日,18日の仙台において(できればこちらで)、 自転車(マウンテンバイクかスポーツタイプ)を一台、貸していただける方を探すことになりました。
(↑17日仙台にて確保しました、ありがとうございました。)
伴走協力者は名古屋出身で国学院大学3年生、岡崎さんです。
day24 2011.8.16
終日蔵王、6:00からの朝練に参加、日中は運動用具の補修作業に汗を流しました。くるみクラブの蔵王グランド
くるみクラブ グランドで運動用具の補修 |
ラグビージャージで決めた南 |
★予定変更
17日蔵王泊を、蔵王から仙台(仙台で募金活動予定)です。
day25 2011.8.17
★★募金予定★★8/17 仙台駅頭において16:00頃より
8/18 広瀬通りフォーラス前11:00より
上記予定で募金活動いたします。
参加、支援者を求めてております。
8・17
蔵王発9:30 R457~R286 仙台着11:30 行程40キロ
到着後、本日、明日と協力していただく、仙台在住の布田氏と「くるみクラブ」後輩の学生3人と落ち合う。
布田氏宅にてしばし意見交換。
くるみクラブ創設者、桑原先生と学生
布田氏はNPO法人「笹舟」主宰者で震災当初から陸前高田で地元消防の高田分団と懸命な活動をしており、 住田基地立ち上げからの支援者です。
16:00~17:30仙台駅西口「さくら野デパート」付近で布田氏と学生達の協力の下募金活動。
仙台の街頭募金一日目、南の後輩くるみクラブの学生3人と布田氏
その後交流会は、布田氏、平松氏、南の先輩渡辺氏、河北新報の矢島氏、大坂氏、くるみクラブの学生3人の総勢9名となりました。
交流会
平松氏、大坂氏は共に陸前高田出身、平松氏は「RIDE FOR PEACE」を支援してくださるバイカーで、
先日「RIDE FOR PEACE」メンバー7人の現地ボランティア活動の際も駆けつけてくれました。
大坂氏は、この度の活動に共鳴し布田氏を通じ参加してくださいました。
交流会中、募金のために仙台在住の柴田さんが来られました、彼女も現地で活動するボランティア仲間です。
本日は平松氏のお宅に南と明日からの伴走者、国学院大学の岡崎君がおせわになります。
急拠、平松氏の自転車をお借りしての伴走です。
day26 2011.8.18
8・18予定仙台の広瀬通りフォーラス前で募金活動11:00~13:00(布田氏、平松氏、岡崎君が支援)
活動終了後出発 R4 古川着18:00頃
8・18
本日、広瀬通りフォーラス前で募金活動11:00~13:00過ぎ
参加者は、布田氏、布田氏ジュニア、平松氏、岡崎君、住田町出身の松田氏、大塚氏と総勢7名。
今日の募金、かなり手応えありました、布田ジュニアが光っていました、協力者はじめ仙台の皆様ありがとうございました。
仙台のビルの入り口に飾られた 七夕の短冊、震災からの早い復興を 願う言葉も多く見られた。 |
広瀬通りで募金、手応え十分。 布田ジュニアの奮闘が光った |
仙台広瀬通りでスタート前に握手。 南と岡崎君 |
募金後14:00仙台を出発、古川へは17:30着、行程は40キロ程でした。
明日の種山高原に備え、早めの就寝と考えていたところ、住田基地からの復路に在る平山風来坊がまた参上、今夜も交流会となりました。
day27 2011.8.19
古川発7:30 R4を北上 種山着17:10
古川市内において自転車旅の秋田の大学生と交流。募金もいただく。
種山高原 星座の森に到着し、15名集合。後方支援いただいた住田町災害ボランティアセンターのサポーターの皆様が顔をそろえてくれました。
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day28 2011.8.20
種山発8:30基地-大船渡VC13:00-陸前高田VC15:00-基地17:00の予定
皆様のご支援を頂きまして、20日午後3時40分
陸前高田市災害ボランティアセンターへ、無事、南輝久到着いたしました。
皆様のご支援にあらためまして、お礼を申し上げます。
ゴールに先立ちまして、大船渡市災害ボランティアセンターでは、
戸田大船渡市長に代わりまして、橋本敏行会計課長、伊藤力也市会議員、
社会福祉協議会からは、平山慶太郎常務理事も御出席していただき、
「RIDE FOR PEACE」ステッカーの売上金を、大船渡市民への義援金としてお渡しすることができました。
陸前高田市災害ボランティアセンターでは、陸前高田市民への「RIDE FOR PEACE」義援金ならびに、
南輝久が2500キロの途中、皆様のご支援の下行いました「高田松原再生募金」を
陸前高田市社会福祉協議会、大坂富夫局長にお渡しいたしました。
当初より目的としておりました、「社会の耳目を集め、被災地に目を向けてもらいたい」
この願いは、皆様の協力による発信、新聞に掲載されるなどし達成できたと考えます。
また、募金も目標を上回り、義援金を合わせますと百万円近い金額となりました。
これも皆様の御協力なくしてはできないことでした。
かさねて、この度の御支援御協力に心から感謝いたします。
陸高VCゴール |
大坂局長 |
大船渡VC、RIDE FOR PEACE義援金 橋本会計課長へ 右手前、伊藤市議隣、平山社協局長 |
陸前高田VC松原募金と RIDE FOR PEACE義援金を 大坂社協局長へ |
長崎~岩手・陸前高田2500キロ RIDE FOR PEACE」
希望の一本松再生募金とボランティア来援を呼びかけた自転車キャラバンは20日午後3時40分、
陸前高田市災害ボランティアセンター前に無事ゴールしました。
サポートしていただいた全国の皆さんに心から感謝申し上げます。
寄せられた善意の総額640325円は22日に陸前高田市社会福祉協議会を通して地元の高田松原を守る会に寄贈させていただきます。
このキャラバンでボランティア無料宿泊施設「住田町基地」を媒介にした全国のボランティアの絆がさらに強まり、各地で重ねた交流会を通じて新たな広がりも生まれました。
新聞やテレビでも数多く取り上げられ、被災地がまだまだボランティアを求めている現状を伝えることができたと思います。(東海新報・岩手日報)
本当にありがとうございました。
住田町災害ボランティアセンター住田町基地別働隊 南 輝久
RIDE FOR PEACE 海野 恭二
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day31 2011.8.23
午前4時半起床、配達された新聞2紙に目を通す。「大船渡魚市場に復興サンマ初水揚げ」などの記事。
郵便局で一本松募金の全額651425円と岩手県社協の「なじょにがすっぺ」ステッカー代10万円を引き出し、10時から陸前高田市VC前で同市社協の大坂局長を通して高田松原を守る会の鈴木会長に募金を贈呈した。
住田町社協の吉田次長も同席した。
竹駒神社で無事完走に感謝した後、大船渡市の仮設住宅、陸前高田市建設課、住田町社協、住田町総務課などを回った。
南は自転車キャラバン後、被災地の仮設住宅の集会所にCDラジカセとCDを贈るキャンペーンを始めており、キャラバンの報告とお礼で関係先を回るとともに、CDキャンペーンへの協力要請も行っている。
夜は基地に住田町民生児童委員連絡協議会の横澤会長が来られ、無事ゴールを祝っていただいた。
day32 2011.8.24
いつもより遅い午前5時に起きた。陸前高田市の仮設住宅の集会所にCDラジカセとCDを贈呈するキャンペーンのため、9時すぎに松井弘さん、西原さんと3人で基地を出発、6ヵ所に贈呈を終わった。このうち、高田第一中学グラウンドの集会所では、入居者20人ぐらいが踊りとストレッチをしていた。ラジカセとCDの寄贈者が東日本大震災チャリティーCD「約束を抱きしめて」の作曲者・北城祐治さん、作詞者・SHINさん(いずれも長崎県在住)であることやラジカセの使い方をを説明した後、入居者たちは早速ラジカセに「陸前高田ふれあい音頭」をかけて踊りの練習に励んだ。南もその輪に飛び入りして、外れた仕草で踊った。その後は盛岡へCDの買出しに出かけ、午後9時すぎに基地へ戻った。day34 2011.8.26
西原さんと大船渡市行き。途中、陸前高田の仮設住宅の一つに寄ってCDを補充した。大船渡では災害ボランティアセンターで同市社協の担当者にCDキャンペーンを説明、その中で仮設住宅自治会の一つからちょうどCDラジカセの要望があがっているとの情報を得たため、急遽対応することにした。被災した地元の電気店に電話するも在庫がないとのことで、市都市計画課の担当者と協議した後、奥州市へ向かい、住田町の分と合わせて4台購入した。day35 2011.8.27
自転車キャラバンの記録を前夜に引き続きワープロ入力作業。午前7時半、西原さんと一緒に大船渡市の地の森仮設住宅を訪れ、集会所で自治会長にCDラジカセとCDを寄贈した。一度基地へ戻り、昼前には陸前高田市の高田第一中学グラウンド仮設住宅へ。集会所にCDを追加寄贈した。基地宿泊のボランティアがマッサージを行っていたため、雰囲気に合った琴の調べによる日本の叙情歌のアルバム。再び基地へ戻り、入力を終え、27日夜の交流集会の準備に加わった。同集会では一本松再生とボランティア来援を呼び掛けた自転車キャラバンの報告や住田町基地の愛唱歌作曲公募で全国から寄せられた6曲の紹介、太鼓演奏、ミニライブなど多彩な行事が繰り広げられた。
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心でつなぐ2500キロ
「長崎~岩手・陸前高田2500キロ RIDE FOR PEACE」の自転車キャラバンは20日午後3時44分、陸前高田市災害ボランティアセンター前にゴールしました。この日は同市の一日の活動ボランティアが初めて1000人を超えた節目の日。全国から集まった大勢のボランティアが出迎える中、真っ黒に日焼けした南と伴走の岡崎君(くるみクラブ)が笑顔でテープを切ると大きな拍手が起こりました。2人は大坂同市社会福祉協議会事務局長とがっちり握手。南は「サポートしてくれた多くの皆さんに感謝します。各地で交流を重ねたキャラバンを通じて、ボランティアの絆が強まり、その輪が広がりました。この力が被災地の復興の後押しに少しでもつながれば」と話しました。
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22日から26日まで5日間、キャラバンの思い出と感想などを「心でつないだ2500キロ」と題して紹介します。
第1回の22日は仙台から最終ゴールまで力強い伴走をしてくれた岡崎君の話題。
22日、住田町基地でキャラバンの残務整理中の南にくるみクラブの創設者(元監督)の桑原さんから電話が入りました。本当にうれしそうな声でこうおっしゃるのです。「(ゴール後の21日に)蔵王のクラブハウスに戻った岡崎君が依然とは見違えるように変わっていた。本当にありがとう。いい経験をさせてもらった」。
岡崎君は南が蔵王の桑原さん宅に2泊した際、南の伴走を志願した教師志望の国学院大生です。
最初から最後まで力強いペダル運びを見せました。
キャラバンで被災地の実情をつぶさに見、住田町基地に泊まってボランティアと交流したことが心の大きな財産になったようです。
岡崎後輩と一本松前でかたい握手
●7月24日午前9時半に長崎市の県庁正門前を出発した南は、途中まで長崎大学サイクリング部の桐谷主将の伴走を受け、快調にペダリング。午後5時ごろ佐賀市にゴールした。長崎市から駆けつけた石橋夫妻と佐賀駅前で街頭募金をした。走行距離113キロ。
長崎大桐谷主将とガッツポーズ
●第2日25日は午前7時半にスタート、福岡市中心街に正午に着いた。数日前に長崎から車で博多中央署に行き申請していた街頭募金のための道路使用許可を受け取りに行った。そのまま博多駅から新幹線と在来線を乗り継いで下関駅まで行き、下関署に26日の道路使用許可を申請、再び博多駅まで戻った。午後5時半すぎから天神で行った募金活動は反応が少なかったが、後半からはボランティア仲間の西村さんが会社の後輩2人を連れて応援参加。終了後は近くの屋台で西村グループに加え、南の東京電通ラグビー部時代の仲間である井上さんら3人も参加して盛り上がった。走行距離66キロ。
福岡天神で西村サポーターと街頭募金
●第3日26日は午前6時40分に出発し、下関署へ午後3時40分到着。道路使用許可を受け取って、合流した山口市の橋本さんとともに下関駅前で街頭募金を行った。走行距離93キロ。この日は暑く、終盤にはコンビニで買ったロックアイスを頭に載せて走った。
住田からワザワザ駆けつけてくれた山口賢人橋本さん
●第4日27日は午前5時15分に出発、光市役所に午後4時半に着いた。光から先の中国路はローカルマニュフェストネットワーク中国の明木さんがネットワーク仲間に協力を要請し、強いサポート態勢を構築。光ではネットワーク会長の田嶋さん(島根県立大学名誉教授)が光市役所訪問、地元メディア紹介のほか、自宅を宿泊提供してくれた。走行距離125キロ。この日は山口県内で前輪のタイヤがパンクし、新しいチューブに交換した。
【思い出、感想】
キャラバンスタート後、住田町基地で出会ったボランティア仲間と初めてドッキングしたのが、福岡。西村さんが忙しい仕事の中、会社の後輩たちを誘って駆けつけてくれた時、本当にうれしかった。昔のラグビー仲間の井上さん、安田さんら、山口の橋本さんには2日続けてサポートしてもらった。光では田嶋さんという新たな出会いもあり、田島夫妻の温かなもてなしに感激した。田嶋さんは元ジャーナリストで、盛岡支局在任中に「リアス号のベルが鳴る」の連載もした人だけに、被災地の一日も早い復興を願っていた。今回の自転車の旅のサポートは、住田町基地の運営班で頼りになる相棒だったRIDE FOR PEACEの海野さん(神奈川)が中心に組み立て、基地の「ブル・ベース長」こと住田町社協の吉田主任が連携してしっかりフォローしてくれた。運営班サポーターとしてこれまで基地を支えてくれた西原さん(静岡)、伏見さん(東京)をはじめ多くのボランティア仲間の全面協力があって初めて実り多い旅になったと思う。
●第5日7月28日は午前8時半、光市の田嶋さん宅を出る。田嶋夫妻の紹介で近所の家族と記念撮影、自転車に積んだ募金箱に子供たちが硬貨を入れてくれた。光は虹ケ浜、室積の美しい松原を抱え、市川市長が日本の森・滝・渚全国協議会の会長を務めている。同市では市を先頭に陸前高田松原などの復活を支援する基金拡大、チャリティーコンサートなどの活動が続けられている。田嶋さんが前日の虹ケ浜に続き、自宅のすぐ下にある室積海岸を案内してくれた。国道2号を東進、酒どころで名高い東広島市の西条に午後6時40分に着いた。走行125キロ。この日の宿は、ローカル・マニフェスト推進ネットワーク中国の文字通り強力なサポートネットワークにより、同市職員の篠原さんの1室。近くの居酒屋で篠原さんら男女4人とともに名物「美酒鍋」を囲んで交流会を行った。
●第6日29日は午前6時50分に立ち、福山駅前に同11時50分着。走行77キロ。市役所でローカルマニフェスト推進ネットワーク中国の同市議、大田さんと待ち合わせ、宿のカプセルホテルにチェックインした。鞆浦まで大田さんの軽トラに自転車を載せて行き、観光客相手に募金。中国新聞の取材を受けた。夜は居酒屋で大田さんの仲間ら約10人と交流会をして親睦を深めた。ここで知り合った馬場さんは後で南の「住田町基地別働隊長崎」の名刺をつくってくれ、南はこれを配送崎の浜松の西原さん宅で受け取った。馬場さんは仙台に近く行くと言って街頭募金の道路使用許可申請も取ると約束してくれた。
●第7日30日は馬場さんが見送る中、午前7時に伴走の大田さんと出発、午後5時に赤穂に着いた。走行104キロ。
●第8日31日は午前7時に、神戸市に午後4時に到着した。途中、須磨海岸で海水浴客目当てに街頭募金を呼び掛けた。反応なく、目の保養になっただけ。走行66キロ。
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【思い出、感想】
中国路はローカルマニフェスト推進ネットワーク中国の方々のきめ細かなサポートに頭が下がる思いだった。交流を通じてボランティアの輪がさらに広がったのを実感した。
●第9日8月1日は午前8時に神戸を出発、国道2号―1号と走って午後4時に大阪・枚方のくるみクラブの先輩、野崎さん宅に到着した。走行60キロ。途中、神戸市内の2ヵ所と大阪・梅田駅周辺で街頭募金を繰り広げた。夜は梅田でくるみクラブ大阪のメンバー6人と交流会。この中で募金も行った。原発関係の仕事をしたことのある友人もいて、意見交換も。
●第10日2日は午前8時に出発し、11時から京都・伏見の大手筋商店街の大光寺で、近くに住むボランティア仲間の梶原さんとともに街頭募金。交流昼食時は8月20日と27日に住田町基地で予定している宿泊ボランティア向けの炊き出しの打ち合わせもした。午後1時半に再出発、梶原さんの助言で混雑する京都中心部を避けるルートを通って再び1号に戻る。大津市街地に入った所で野洲市の東さんが大きく手を振って懐かしい再会。レストランで暫し歓談した。鈴鹿峠越えは小雨が降る中だったが、難なくクリア。午後7時に三重・亀山の関宿の国民宿舎に着いた。走行110キロ。この日は途中から梶原さんが車で伴走して、宿の手配などもきっちりサポートしてくれた。同宿した梶原さんと乾杯。
●第11日3日は午前7時半に出発、宿場の町並みが保存されている関宿中心部を通って一路名古屋を目指した。四日市市内で国道1号と名古屋市街地を高架で走る23号が交差するが、昨年23号でひやひやした経験があったため、梶原さんらの助言に従って1号をそのまま進んだ。名古屋駅前に11時40分到着した。走行68キロ。浜松から西原さん夫妻、友人の子どもの聖矢君、瑛君ら5人がやってきて一緒に街頭募金を行った。夜はくるみクラブの先輩で名古屋勤務の石井さんと食事をしながら、ボランティア活動について情報と意見を交換した。
●第12日4日は午前7時40分に出発、前夜浜松から名古屋に来て泊まっていた「風来坊」こと平山さんと一緒に元気よく浜松を目指した。途中、住田町基地に宿泊し一本松の再生活動にも携わった田口さんらが豊明市の沿道で待ち受け、スポーツドリンクなどを差し入れ、募金箱にも投入してくれた。この日はネッツトヨタ静浜、静岡トヨペット,レクサス店、浜松市役所、静岡市役所、いなほや(お好み焼き店)など8ヵ所に寄る激しいスケジュール。浜松市内に入ってからは平山さんの所属する自転車愛好会「風来坊」のメンバーが新たに伴走した。午後5時半、オートリメッサ中田島店でボランティア仲間の石塚さんを含む30人以上が浜松到着を拍手でねぎらった。走行110キロ。夜はボランティア仲間の田邊さんらと居酒屋「ふくべ」で交流会。「ふくべ」で震災直後から取り組んだ募金を寄贈していただいた。
●第13日5日は自転車の点検をしてくれた店に寄って自転車を受け取った後、午前8時半から浜松市内の喫茶店「珈楽庵」に約20人が集まり、南の話に耳を傾けた。同店が集めた募金と当日の募金を合わせて多くの善意が寄せられた。参加者の1人の子どもから頭に水をかけてもらい、10時半にスタート。「花子さん」(お好み焼き店)など協力者の所に寄りながら正午すぎに浜松を後にした。遅い出発に加え、途中大雨で1時間半ほど雨宿りしたこともあり、富士市の宿舎に着いたのは午後11時近く。そこで、住田町基地に宿泊してボランティア活動をした「全県通過の自転車日本一周」青年、新垣さんと握手した。走行128キロ。名古屋~富士ではそのころ住田町基地の運営班で中心になっていた松井弘さん、ボランティアの松井宏恵さんも車で伴走しながら熱い声援を送ったり、西原さんと一緒に独自に街頭募金を繰り広げたりした。
●第14日6日は箱根越え。平山さんに新垣さんを加えた強力伴走者と一緒に午前7時半にスタート、海沿いの道を気持ちよく走る。途中、清水町の柿田川の湧水を見学して、一路箱根峠を目指す。だらだら続く上り坂、急勾配の旧道七曲をクリアして、予定表に掲げた午後5時に鎌倉市役所前へ到着した。走行104キロ。基地運営班の心強い相棒だった海野さん、ホームページで連日キャラバンの模様を紹介していただいたバイクショップ「ビアーズ」の宮田さん、鎌倉市議で鎌倉届け隊の長嶋さんら多くの協力者が待っていた。今回のキャラバンでサポート態勢構築の中心になった海野さんと力強い握手を交わし、鎌倉駅周辺で街頭募金を行った。その後、鎌倉届け隊の代表・「カフェバー麻心」の森下さんの店に立ち寄り交流。夜は綾瀬市の海野さん宅で交流会をした。ブログ紹介などで協力していただいている妙現寺の鈴江住職、檀家でボランティアの武田さん、海野夫人、新垣さんらで大いに盛り上がった。
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【思い出、感想】
名古屋から鎌倉まで3日間伴走してくれた平山さんの熱い走りが忘れられない。特に、静岡県興津から由比へ抜ける細い太平洋自転車道を雨の夜、対向車のヘッドライトに目をくらまされながら走ったことが印象深い。メガネを壊したため、度入りのサングラスで道がほとんど定かに見えない中、平山さんの自転車のテールランプだけを頼りに走った。振り返ると、箱根越えよりも、この日がキャラバン全体を通しての一番の山場だったように思う。
●第15日8月7日は午前8時、伴走の松尾鎌倉市長、鎌倉市議で鎌倉とどけ隊の長嶋さんとともに市役所前を出発した。鶴ケ岡八幡宮で安全祈願をし、途中で松尾市長と別れた。長嶋さんは「津波に耐えた希望の灯」「陸前高田松原の一本松」ののぼりを自転車にくくりつけて、「希望の一本松募金にご協力を」と元気よく連呼し、横浜市内で一緒に街頭募金をした。午後4時からボランティア仲間の伏見さん、片岡さんらとともに東京・汐留のカレッタ広場で街頭募金を行った。カレッタ広場の使用については南が東京支社時代に所属した東京電通ラグビー部のOB井上さん(福岡在住)らが動いてくれ、電通の西村総務局次長らが7、8日の2日間丁寧に対応していただいた。同OBの庄野さんらが駆けつけて募金してくれた。終了後、宿泊先である飯田橋の伏見さんの事務所へ行く途中、車線変更しようとした瞬間、後ろから来た車にひじをこすられ、車のバックミラーがもげ落ちたが、けがなく済んだ。住田町社協の吉田次長が送ってくれた竹駒神社のお守りのお蔭と感謝する。夜はボランティア仲間の木田さんら10人と交流会をした。走行60キロ。
●第16日8日は午前11時からまず秋葉原駅前で街頭募金。陸前高田市出身の若者たちでつくるセーブタカタの佐々木、松原両代表、RIDE FOR PEACEの今野さんらが参加した。午後1時すぎからは汐留カレッタで2度目の募金活動。東京電通ラグビー部OBの懐かしい面々が次々に来て激励と募金をしてくれた。東日本大震災チャリティーソング「約束を抱きしめて」と住田町基地愛唱歌「心あつもり住田町」を流しながら、被災地へのボランティアの来援も呼び掛けた。夜は茅場町のダイニングバーで大学の同級生、新聞記者、ボランティア仲間と交流会をした。走行20キロ。
●第17日9日は午前8時すぎに出発、日光街道と環状7号の交差点で伴走してくれるボランティア仲間の佐々木さん(陸前高田市出身、市川市在住)と合流した。佐々木さんの先導で途中から江戸川沿いのサイクリングロードに入り、景色を楽しみながら快調に走った。昼食後、佐々木さんと別れ、国道4号に戻り、茨城県結城市に午後2時半に到着した。走行90キロ。
●第18日10日は午前6時半出発、福島県の白河市に午後6時に着いた。走行108キロ。途中、道下の川で水浴した。
【思い出、感想】
東京・汐留のカレッタ広場で2日間行った募金活動は昔のラグビー仲間との懐かしい再会の場となった。福岡の井上さんが100人にメールを打ってくれ、多くの募金が集まった。ラガーの熱い友情に感謝、感謝というところ。
●第19日11日は午前8時半出発、福島県二本松市の二本松駅前に午後0時半に着き、街頭募金をした。高齢の女性が話しかけてきて、「自分は被災者だが、1カ月間野宿。先日7万円をもらっただけ。生活資金はゼロ」と話した。終了後、同市内に移転している浪江町役場を訪問、社協と災害対策本部の担当者に会って「CDラジカセ&CDを仮設住宅集会所に」キャンペーンについて協議した。この日の宿はボランティア仲間のバイカー、小平さんが提供。庭に止めてあるトレーラーハウスに小平さんと泊まった。走行75キロ。
●第20日8月12日は午前7時、二本松市の小平さん宅を出発した。安達太良山方面への坂道を上り続け、「つちゆロードパーク」付近から土湯峠を越えて裏磐梯の北塩原村を目指す行程。傾斜14%を超える坂もあったが、短かったので問題なし。しかし、その後、道を間違えて1時間半ロスした。宿泊先の前田さん宅に着いたのは午後3時半だった。走行109キロ。前田さんはくるみクラブの先輩で、奥さんを亡くして独り暮らし。大阪で一級建築士事務所を開いていたが、生前奥さんと旅行した際にこの地を非常に気に入ったため、移住してきた。土地の人たちにすっかり解け込んで、大震災で避難してきた人たちを三味線で慰める活動も行っている。前田さんが設計製造した近くの民宿のヒノキの露天風呂に一緒に入り、夕食では二本松の酒「奥の松」を2人で空けながら歓談した。
●第21日13日は午前7時半に出発、桧原湖を通過してレイクロードに入り、涼風峠、三湖パラダイスなどの景色を楽しみながら走る。振り返ると櫛ケ峰、磐梯山が悠然とそびえている。なだらかな上り坂を走り続け、前日とは逆から土湯峠へ。自転車を立てかけて写真を取っていると、横幕を目にした熟年夫妻が声を掛けてきて、募金箱に投入してくれた。午後福島駅前に到着、街頭募金を行った。近くのビジネスホテルにチェックイン、夜は元証券マンの佐藤さん(福島在住)、小平さん、ボランティア仲間の大和田さんと交流会を繰り広げた。走行80キロ。
●第22日14日は午前7時半、二本松の小平さんが軽トラに自転車を積んで福島駅前まで迎えに来て、茨城県大子町のオートキャンプ場「グリンヴィラ」へ。小平夫人も別の車に高校生の二女を乗せて同行した。同キャンプ場をたびたび利用している小平さんの紹介で支配人が全面協力。キャンプ客相手に募金活動を行った。この日は再び小平さんのトレーラーハウスにお世話になった。
●第23日15日の宿は宮城県蔵王町遠刈田の山中にある「くるみクラブ」の桑原元監督宅。南はクラブの6期生で、山林を切り開いてグラウンドと合宿所を建設した6期の副主将だった。午前6時半、小平夫人が軽トラに自転車を載せて二本松郊外の「つちゆロードパーク」下まで行き、バイクでついてきた小平さんが先導しながら福島市内まで一気に下った。出勤途中の小平さんは約2時間伴走してくれた。白石市内に入ると4号から分かれて蔵王へのだらだら続く山道を上る。途中沢の水で頭を冷やす。遠刈田温泉への降り口付近のベンチで北海道新聞東京支社の論説委員、西村さんの取材を受ける。西村さんは住田町基地に宿泊したことがあるとのことで、募金箱に投入してくれた。午後2時すぎに蔵王合宿所に到着した。ちょうど合宿の準備作業で来ていた現役主将の山根君、元崎君、主務の岡崎君の3人に桑原元監督を交えて夕食。この中で岡崎君が仙台からの伴走を志願、ほかの2人も快く了承してくれた。走行80キロ。
●第24日16日も蔵王泊まり。午前6時からの現役幹部3人の朝練習に参加。日中は彼らと一緒に運動用具のさび落とし作業に汗を流した。
●第25日17日は仙台へ向かう。午前9時半に出発して11時半仙台に到着した。走行42キロ。ボランティア仲間の布田さんと会い、仙台中央署で道路使用許可を受け取り、宿泊提供してくるRIDE FOR PEACEの平松さんの勤務する店へ。自転車を借りて布田さんと仙台駅前でくるみクラブの3人と合流、募金活動を繰り広げた。夜は昼間取材に来てくれた河北新報の矢島記者、くるみクラブOBの渡辺さんを含む9人で食事しながら交流会をした。
●第26日18日は午前11時から午後1時15分まで仙台市広瀬通りのフォーラス前で街頭募金。布田ジュニア、平松さん、住田町出身の松田さん、大塚さんらも加わって訴えた結果、予期していた以上の好反応だった。終了後、郵便局で募金を通帳に入れ、伴走の岡崎君と握手して古川市を目指した。しばらく自転車遠乗りはしていなかったという岡崎君だが、徐々に感覚を取り戻したのか快調な走り。午後5時半古川駅近くのビジネスホテルに到着した。走行50キロ。
●第27日19日は午前7時半に出発した。この日のゴールは奥州市と住田町の境にある種山高原。2人とも快調にこぎ続け、途中大阪から秋田へ自転車で向かうという大学生と遭遇。南の自転車の横幕を見て「自分もこんな活動をしたかった」と共感を寄せ、募金箱に投入してくれた。中尊寺に寄って金色堂を見学、ドッキングした住田町社協の吉田主任と昼食を取った。種山高原の手前で基地へ向かう松井弘さん、西原さん、巻島さんに捕獲された。星座の森キャンプ場に午後5時10分に到着。薬草風呂に浸かって体をほぐした後、設営されたテントの中で乾杯をした。
●最終日20日は午前9時半にスタート、住田町基地に寄って小休止してからまず大船渡市災害ボランティアセンターを目指す。住田町社協の吉田次長、サポート差配役としてフル稼働した海野さんらが車で伴走。午後0時半には大船渡VCに着いた。RIDE FOR PEACEのステッカー売上金から被災者への義捐金として15万円を大船渡市社協の平山事務局長に手渡した。陸前高田市の海岸で希望の一本松と対面。共同通信とNBC長崎放送の取材を受けて、後は一路最終ゴールの陸前高田市災害ボランティアセンターへとひた走る。大勢のボランティアやVC関係者らが見守る中、午後3時44分、2500キロに及ぶ自転車キャラバンに終止符。同市社協の大阪事務局長とがっちり握手を交わした。
集めた募金の目録を大坂局長を通して高田松原を守る会の鈴木会長に渡した。募金の最終総額は651425円となり、23日に同センター前で贈呈式を行った。
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